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岩手軽便鉄道では蒸気機関車を合計で10両所有

蒸気機関車 [編集]
岩手軽便鉄道では蒸気機関車を合計で10両所有していた。

1号から6号の6両は、南満州鉄道から購入したボールドウィン・ロコモティブ・ワークス製の13t級C形サイドタンク式機関車である。もともとは京釜鉄道速成線用として1904年2月から4月にかけて100 - 129の30両[1]が製造され、同鉄道の建設計画変更により日本陸軍臨時軍用鉄道監理部麾下の臨時鉄道大隊の手で日露戦争のために建設され、1905年に完成した安東県沙河鎮 - 下馬塘間110マイルを皮切りに、安東から奉天まで建設された第4軍用鉄道安奉線(後の瀋丹線)で運用されたが、戦後の1907年4月1日の南満州鉄道への移管後に、標準軌へ改軌された際に不要となって売却[2]され、岩手軽便鉄道へ来たもの[3]である。満鉄時代の番号は1号、13号、15号、17号、39号、2号で、岩手軽便鉄道ではこの順に1号から6号となった。一時期盛岡電気工業(花巻電鉄)の電気工事遅れによる電車運転不能を救済するために客車と一緒に貸し出されていた車両もある。国有化後はケ231形のケ231 - ケ236になった。

7号と8号は1916年(大正5年)大日本軌道鉄工部製、9号は1919年(大正8年)雨宮製作所製のほぼ同形式のC形機関車であるが、国有化時には形式が分けられてケ237形ケ237・ケ238とケ239形となった。

11号は1913年(大正2年)オーレンシュタイン・ウント・コッペル製の9t級B形ウェルタンク式機関車で、1915年(大正4年)に東京電気(後の東芝)から購入した。入換専用に用いられ、国有化時にケ92形となった。
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

これらの機関車は、11号以外は国有化後の改軌が完了した時点で全車廃車となった。11号(ケ92形)は、1937年(昭和12年)4月に松浦線へ転属し、さらに工事用機関車として車蒸84号に改称されて北海道や大阪で使用されて1958年(昭和33年)7月1日に廃車された。

客車 [編集]
客車は全部で25両を使用していた。記号としては、特等の客車がイ、並等の客車がロ、荷物車がニ、郵便車がユであった。このうち、特等は1934年(昭和9年)12月13日の届出により廃止され、並等に編入されている。

開業時に導入されたのが大日本軌道鉄工部製造のイロ1 - 3とロ4 - 10で、種類によらず番号を連続して振っていた。後に種類ごとに番号を振ることになり、1917年(大正6年)にロ8 - 10がロ1 - 3へ繰り上げられた。イロ1 - 3は後にイロ10 - 12へ改番され、さらに特等廃止時にロ10 - 12になった。

続いて、1918年(大正7年)8月22日認可で名古屋電車製作所製造のロニ20 -23が導入された。また1919年(大正8年)に魚沼鉄道から1894年(明治27年)平岡工場製のロ30 - 33、イ40、ニ50を導入した。これは元々青梅鉄道が導入したもので、魚沼鉄道が路線延長時の増備用にあらかじめ購入したが、1,067 ミリへの改軌が決まったため実際に魚沼鉄道で使用されることなく岩手軽便鉄道へ流れてきたものである。イ40は特等廃止時にロ40となった。

最後に増備されたのが1927年(昭和2年)3月5日認可の日本車輌製造支店製造のロニ24・25と、同年9月15日認可の名古屋電車製作所製ユ80 - 82である。

これらの25両の車両は全て国有化時に国鉄へ引き継がれ、改軌が完了するまで使用された。

貨車 [編集]
貨車は大半が1913年(大正2年)から1914年(大正4年)にかけて大日本軌道鉄工部で製造された。国鉄に引き継いだのは有蓋車35両、無蓋車75両で、改軌完了後大半がアメリカ軍によって韓国へ持ち込まれている。朝鮮戦争の軍事輸送[4]に使用されたものと考えられている。

運行 [編集]
1913年花巻 - 土沢間開業時点

全線2往復
所要43分
運賃並等23銭
1934年11月1日ダイヤ改正時点

全線2往復、花巻 - 遠野間区間列車2往復半、花巻 - 晴山間区間列車1往復
全線所要 4時間15分(下り)、3時間40分(上り)
全線運賃並等1円14銭、特等1円71銭
輸送量は、全通した直後の1916年(大正5年)度が旅客177,527人、貨物43,647 トン、1926年(大正15年)度が旅客390,242人、貨物57,347 トン、国有化直前の1934年(昭和9年)度が旅客288,441人、貨物46,151 トンとなっている。

駅一覧 [編集]
国有化した1936年時点を基準に、それ以前の廃止駅はカッコ内に示す。これ以前に改称している駅も多数ある。

花巻駅 - 鳥谷ヶ崎駅 - 似内駅 - 矢沢駅 - 小山田駅 - 土沢駅 - 晴山駅 - 淵ノ欠駅 - 岩根橋駅 - 宮守駅 - 柏木平駅 - 鱒沢駅 - (貨)中鱒沢駅 - 荒谷前駅 - 岩手二日町駅 - 綾織駅 - 遠野駅 - 青笹駅 - 関口駅 - (赤川駅、1927年廃止) - 岩手上郷駅 - 平倉駅 - 日出駅 - 足ヶ瀬駅 - 仙人峠駅
淵ノ欠、日出は臨時停留場、廃止年月日不詳、関口駅も廃止年月日不詳。花巻駅は国鉄の花巻駅の前にあった。

接続路線 [編集]
花巻駅: 鉄道省東北本線、花巻電気(1921年から盛岡電気工業、1926年から花巻温泉電気鉄道、後の花巻電鉄)

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2009年03月23日 12:22に投稿されたエントリーのページです。

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